日本の農業の未来への挑戦ーその始まり

27.12.31(大晦日)曇り、最高温度9度、最低温度1度

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                ようやく農園は冬の色に染まった

今年、むかし野菜グループの基幹基地建設(アンテナショップ)に向けた準備が始まった。
銀行を54歳で中途退職し、佐藤自然農園を開いてから13年、農業を通した地域活性化の構想を練り、有機農業の小さな実験農園を手掛けてから23年が経過した。一人で始めた(草木堆肥を使った)自然循環農法への参加者は、今では、
スタッフも含めて14人に達している。その半数は30~40代と比較的若い。
お客様(ここでは仲間達としている)もレストランを含めると北海道から石垣島まで
全国で250名に膨らんでいる。

その間にこちらも齢を重ねているが、地域の農業者は益々高齢化が進み、ほとんどの地域の農業者の平均年齢は70歳を越えようとしている。
それもいずこも後継者がおらず、専業の農業者も極端に減少しており、里全体に
荒廃した農地が広がる風景が目前に迫っている。
欧州のように農業保護=国土保全の意識が乏しい日本では、まるで昭和初期の
財閥と軍が結び、農業軽視、経済優先の政策が復活したかのようで妖しい空気に包まれ始めている。
国は、霞が関官僚を中心に、国力(経済)浮揚策として、大企業優遇の政策を基本として、農業切り捨て、地域切り捨ての政策を進めている。
上から水が落ちるように、大企業が儲けたお金が下に流れていくなど、ありえない
理論を押し付けてくる。
その結果、都市部では、低所得層が急増しており、格差が助長し、全体として消費者の購買力が減退し、内需は縮んでいる。
現在の社会・経済はかってのように長大重工業産業の育成が必ずしも国力のアップには繋がっていかない時代である。時代錯誤も甚だしい政策を取り続けている。

今思えば、20数年前、このような状況を予感しており、そのアンチテーゼとして、
この時代、農業を通じて地域活性化を模索しようとしていたのかもしれない。
「高品質の有機農産物を中核とした生産加工と観光産業育成が地域復活に繋がるのでは」との思いが農園主をこの世界に導いたと言えなくもない。

このむかし野菜の加工所・直売所建設は出発点に過ぎない。
先ずは、「価値観を共有する生産者と消費者のグループを作る」ことから始める。
その入り口は作ってきた。
次には、加工所を中心とした生産加工基地建設により、消費者にその価値観を伝えるためのアンテナショップ化(コミュニケーション基地化)を進める。
三年後には、懸案であった平飼い・有精卵・自然農の自家製飼料を使った養鶏事業を起こす。これは新たに参加してきた若者が養鶏をしたいとの要望と見事につながったことによるが・・
五年後には、自然農による穀類生産により純粋な無添加発酵食品(味噌・漬物等)
の本格的な醸造所・保管熟成倉庫を建設する。
そこでは、飲食機能を持たせ、体感農園・乳幼児の遊び場も設けて、体感観光農園化を進める。

この挑戦は、時間との戦いとなることは以前より分かっている。
一つは、農園主の歳であり、一つは、地域の荒廃加速化であり、一つは、後継者育成に時間がかかることであり、土作りに3年以上を要することである。

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発芽したばかりの小麦
今年は暖冬で雨が多く、土作りが
進まず、種蒔きが随分と遅れ、未だに
半分も蒔けていない。

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新規借入農地はほとんどが田圃であり、
粘着性の高い泥が堆積しており、
土作りに手間と長い時間を要する。

自然循環農法による野菜作りは一応の手ごたえは得られた。
次は加工品の原料となる穀類生産であり、こちらのほうは、除草剤・化学肥料などを使わない自然農となると、かなりの経験と実践を重ねていかねばならない。


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大豆を引き、軽トラに積み込み、
圃場から持ち出す。

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手作業で脱穀をする。およそ4反の大豆は
かなりなの量となる。

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脱穀しても殻が多く混じり、
これを除かねば篩にかけられない
手で揉み、殻と実を分離する。

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少しずつ篩にかけて、さらに殻やごみを除く


イメージ 8大豆の目視による選別作業

年によって異なるが、発育の悪い年は腐りや未熟豆・黴の発生が多く、
一粒ずつ選別していかねばならない。
また、自然農となると、土に窒素分が乏しいだけに、均一な大きさには絶対にならない。

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ようやくほぼ選別を
終えた大豆。
今年は約500キロの
大豆が何とかできた。
天候不順な中では
健闘したほうか・・

味噌・黄な粉の原料
の他には、消費者の
元へ届けられる。
大豆の煮方については、レシピを添えて
届ける。


当グループが野菜の他に穀類(お米・大豆・小麦・とうもろこし・その他雑穀)生産を推し進めているには理由があり、地域活性化へ向けた戦略がある。

現在圃場の多くが水田(田圃)であり、水田には永年、米作を続けてきたために、底に泥が溜まり、水持ちが良すぎて通気性が悪く、畑作には不向きである。
湿田ではお米が適し、乾田では畑作転換が可能となり、この乾田を利用して、穀類
生産にチャレンジしようとしている。
乾田でも草木堆肥を5年以上施肥し続けてようやく野菜作りが可能な土壌になる。
その間は穀類生産を行う。

乾田の土作りに5年;
初年度から3年間は穀類生産→加工品や養鶏事業の自家製飼料に使う
4年目から5年目までは野菜生産→漬物及び根物類の圃場となる。
6年以上では本格的な野菜生産→出荷用の野菜作り

この水田活用の回転が進めば、地域の農業者(兼業農家)にも参加を促すことが可能となると考えている。
勿論、そこまでは、農業を志す若者や高校生を受け入れ、この農法や取り組みの後継者として育て続けていかねばならない。
この土作りのサイクルを考えると、また、地域農業の著しい衰退を考えると、時間が無いとため息をつかざるを得ない長大な計画となる。
こうなると、長く続いた国の無為無策の農業政策が恨めしく、腹立たしさを覚える。
しかしながら、千数百年続いてきた日本の農業の歴史や地域の農業用資産は、
全て米作りの歴史でもある。
米作からの大転換は難しく、焦っても仕方がないのかもしれない。

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一時代前までは、地域のどの家でも味噌や
漬物は作っていた。
日本の風土で育った
この乳酸発酵の伝統的な食品は、日本人の健康を守ってきた。

手作りの発酵食品である味噌を2百数十名の
消費者へ届けた処、
その98%の方から大絶賛を受けた。

ある方は、むかしの記憶をたどって、ある方は、小さい時に食べた記憶が蘇り、
ある方は、初めて本当の発酵食品の味噌を食べたと・・・
その90%以上の方から、もっと定期的に欲しいとの要望が届いた。


加工品作りには穀類が不可欠になり、流通市場には自然農の穀類は先ずは無い。消費者は安全で遺伝子組み換えの無い穀類を欲している。
さらには、現在、流通している加工食品に化学物質の含まれていないものはほとんど見当たらない。
これは穀類生産過程で、投下される農薬や除草剤にとどまらず、化学肥料・ホルモン剤だけでもなく、食品製造から流通までのプロセスの中で、投与される保存料・防黴剤・甘味料・着色料・旨味成分・乳化剤・合成アミノ酸などの全ての化学物質も含まれる。正しく、現在の食品では、化学物質に溢れている感がある。

そのため、当農園への問い合わせの中でも畜糞(恐らくは合成飼料などが含まれている)すら、使っていないかの質問が多く、高度アレルギー・アトピー・癌などの疾患に悩んでおられる消費者の多いことが目を引く。

絶対に化学物質が含まれない食品などこの時代には存在しないのだが、それだけに、できるだけ化学物質を排除した農産物生産から加工品作りを行わねばと考えざるを得ない。
その試みはこれから行おうとしているむかし野菜の邑グループの生産から加工までの大きなテーマとなっていく。

→次回は、むかし野菜の邑が取り組もうとしている加工品などについて語ります。