日本の農業の行く末は?-PARTⅡ

25.9.1(日曜日)雨、最高温度26度、最低温度23度
 
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(日本の農業の現状)
 
今から100年以上前まで、日本では、開けた平野部や一部の都会地は別にして、
山があり、農地と人家があり、その間にある里山では、里人は入会地として、柴を
刈り、草を刈り、秋ともなると落ち葉を集め、農耕用の牛の糞や鶏の糞を使って、
草木堆肥を作っていた。人糞は肥え坪に溜めて肥料として野菜を作っていた。
有史以来、山から流れ出る河川や水路を整備し続け、水田に腐葉な有機質に
溢れた養分やミネラルを含む水を引き、我々の先祖は営々と農耕を続けてきたと
いう歴史がある。
その遠大な水路や整備されてきた里山は日本の大切な財産でもあった。
 
戦後目覚しい復興を果たし、経済成長を遂げた日本では、これらの地域から人が
流出し、過疎化が進んでいったことは止むを得ないことではあるが、欧米に追い
つき、追い越し、やがて、それと同じようにアジアの後進国の追い上げをうけて、
それまで日本の経済を支えてきた産業がその存在領域を奪われつつあるのは、
ある意味では当然の結果でしょう。
そうなると、都会や平野部で働いていた産業人口が溢れ出し、逆に過疎化が進ん
だ山間部を含めた地域には人が居ない、産業が無いということになる。
画して、平野部でも山間地でも産業・職業・住宅の空洞化が進行している。
 
問題なのは、日本にこれらの人口移動や産業育成の具体的政策がまったくといっ
て無いことであり、猶予できなくなっているのは、地域の荒廃を、先祖が作り上げ
た膨大な林業という営みを支えてくれた水路などの地域インフラの維持存続が
難しくなっていることです。
 
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戦後の日本の農業(農業政策とも言える)は一貫して近代化をテーマとしてきた。
そのため、大量・均一農産物生産をテーゼとした化学肥料・農薬の使用があるいはその使い方が生産技術となっていった。
その後、60数年を経て、草木堆肥、若しくはそれに近い堆肥作りは急速に廃れ、
その作り方・使い方さえ知らない世代へ農業は受け継がれている。
戦後の都市化の波と大量消費社会となり、の農産物流通は均一・大量生産へと向
かい、同時に生産者と消費者との接点も無くなり、品質は見え形・規格サイズという
物差し(価値基準)へと変わってしまった。(流通主導での産物形成のため)
 
農業者も露地栽培からハウスなどの施設園芸へと向かい、農協などの主導により
生産部会を作り、大量流通のしくみに対応するようになった。
国も未だに農業の大規模化・企業化しか言わなくなり、山間地の多い地域農業は
崩壊の一路を辿っている。(旧態の農地法などにより、土地の集約化など無理な
状況は放置され続けている)
 
そうした中、わずかに有機農業及び自然農法といった欧米のオーガニック農法が細々ながら浮上してきてはいるが、それも纏まりが無く各個に起こり、かつ、潰れ
ている。
その纏まりの無さ故に、大量流通の仕組みにより作られてきた消費者の品質に
対する価値基準=きれい・みてくれ・規格サイズと同じ物差しで有機農家も農産物
生産を行う風潮になっているのも仕方がないことなのか?
 
あるレストラン(当農園が野菜の供給をしている)から電話が入る。
「佐藤さん、この人たちは分っていないんだよな!うちに突然、○○有機農家から
野菜が送られてきたんだよ。きれいだし、味も香りも無い野菜が・・使えんよ」と・・
 
有機野菜の本質は、安全安心ではなく、また、マーケットの価値観に迎合すること
でもなく、有機質に富み、端虫や微生物・放線菌などの棲息できる土壌を作り上げ
て、栄養価のすぐれた野菜を消費者に提供することではないのでしょうか。
だから、安易に土を汚す、あるいは、微生物などを放逐してしまう農薬などの化学
物質をできるだけ持ち込まないとするのが、有機農家の矜持と私は思う。
 
欧米のオーガニック野菜の基準とは異なり、日本の風土に根ざした有機野菜の
基準があれば一般の消費者にも分り易く流通が容易になると思うのだが・・・
(日本は海に囲まれた温暖な四季のある風土であり、季節によっては湿潤で、
虫が大量に発生し易い。特に最近では亜熱帯特有の雨季と乾季を繰り返す)
 
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写真は、当農園の定番商品
サラダセットの野菜達。
水菜・サラダ小松菜・ルッコラ
辛し水菜・マスタード他、7~10
種類のサラダ野菜を詰め込んだ
セット野菜。
マーケットとの直接取引には消費者
がどんなサラダ野菜を欲しているの
などを生産者が考えて、自分達も
食べて美味しいと喜べる野菜作りや
供給の仕方を工夫することが要求
される。
 
大量流通の仕組みが可笑しいわけではないが、日本の農業の復興のためには
様々な問題が多く、国などに頼るだけでは難しい。
その一つが、消費者に向けて努力しなくなった農人達。これでは流通の仕組みに
飲み込まれるのは当然。消費者が求めている農産物作りを探る努力が必要となる
これをマーケティング能力と言う。
そのためには、消費者と向き合う場や方法が必要となる。これをコミュニケーション
能力と言う。
 
少なくともこの二つの仕組みを作り上げるには、個々で覇を争うことには余り意味
が無く、一つの品質を均質化していくためには早急なグループ形成が必要となる。
そこでは、質の高い農産物を生産する技術や農業を学べる新たな農人を養成
することが早急なテーマとなっている。
この農園もその意気込みのある若者を求めている。何とかからだの動くうちにと
やや焦り始めているようだ。
 
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   野菜の花は蜜蜂などの子虫を呼ぶために、時として妖艶な姿態を作り出す
   オクラの花は、日中は開き、夕方になると閉じる。まるで虫を誘うように、
 
消費者もこのような実態を知ってか知らずか、特に若い女性達が敏感になりつつ
ある。丁度、子育て世代にあたる。
関東の方々は、情報に敏く、流通している有機野菜にやや疑問を持ち始め、本物
を探し始めている。ここ、九州ではようやく有機野菜なるものに関心を持ち始めた
段階ではあるが、ようやく動き始めた感がある。
これは同行者にとってはうれしい変化であり、これから農業に取り組もうとする
若者達にとって、将来の展望が見えてくるのかもしれない。