日本の農業の行く末は?PARTー1
25.8.17(土曜日)晴れ、最高温度37度、最低温度26度
わずか30坪の農地を借り、有機農業の真似事を始めたのが今から20年前、
思うところあり、銀行を中途退職し、本格的に草木堆肥による自然循環農法に
よる有機野菜の生産販売を開始したのが今から10年前になる。
最初は、私と妻の知人縁故を頼って市場には馴染みの薄い草木堆肥による野菜
(有機野菜とは一線を画してむかし野菜と称する)を20~30人の方々に買って
もらった。
それから徐々に畑を広げて、今では160余名の個人顧客(関東が中心)と数軒
のレストランに直接お届けしている。
大震災以降は、顧客層もぐっと若返り、子育て世代の30代の世代が中心となって
いる。顧客の増加に伴い畑も7反に広がるが、こちらは当然のことながら年々年を
重ねてくる。この農法を受け継ぐべき次の世代(後継者)が気になってくる。
なにしろ、流通を一切介さない直接販売のみですから、レストランの要望に答えて、あるいは、毎週お届けする野菜ですから、飽きの来ないように野菜のアイテム数も年々増え、年間100種類以上の野菜の生産となった。(毎年数種類の新たな野菜
作りを試して、生き残るのは2~3種類となるが)
作る野菜は、固定種・在来種の血を引く野菜としており、露地栽培に適したものだけ
が生産継続となっていく。勿論美味しくない(味香りが薄い)野菜は排除される。
見え形にこだわっておられる消費者やレストランは消えていき、味香り・食感・旨さ
を求めておられるお客様だけが残っていくため、爆発的には増えない。
まさしく特定消費者に支えられた農園となっている。
そこはお客様(私はむかし野菜を共有する仲間と理解)も分っておられるようで、
特に関東のお客様方は多くの有機野菜(若しくは、らしきものも含めて)を試されて
おり、見え形が悪い、割れている、虫食いが多いなどのクレームはほとんど見られ
ない。というのも、直接それらの新規顧客に問い合わせた処、皆様からは有機
野菜(中には有機JAS認定野菜も含まれる)なのに、何故きれいなの?とか
何故美味しくないの?などの疑問を抱いていたから、佐藤自然農園の野菜を
試してみたかったのです、との回答が寄せられる。
有機野菜、あるいは、自然野菜という概念だけではそう長く続くわけも無い。
驚かされるのは、野菜を取る前に期待していたイメージと食べてからの印象
のギャップが見られないこと。皆様、「期待通りでした」と答えられる。
それだけ、美味しく栄養価の高い野菜を求めている消費者が多いことに、まんざら
日本人も捨てたものではないな!と・・・
トレビス
(チコリの仲間)
サラダの貴婦人と
私は言っている。
ややビターな味と
妖しげな色合いが
サラダ野菜を引き
立ててくれる
レストランメニューが
今や当農園の定番
食材になっている。
新しいお客様達との会話(メールか電話)の中で、「とにかく美味しいです。野菜に
対する概念が一変しました」とか、「最初は思わず引きました。食べてみると味が
濃く、歯ざわりが凄く良い。何しろ野菜を食べない子供達が平然と食べているのに
唖然としました」という回答が寄せられる。
一番驚いたのは、「味が濃いということも勿論ですが、やさしい味がしましたよ」との
回答が少なからず寄せられたことです。生産者の私でもこの野菜を作り始めてから
何年か経ってから、むかし野菜は結局は体が美味しいと言っており、やさしい味が
する、と言うことかと気づいたのに・・数人の方は最初に食べた際にそれを言い当
てるとは・・
料理人も足元に及ばないほど味に敏感な消費者がおられるのです。
最も、有機野菜というイメージ(概念)だけで野菜を取っておられる方や野菜の美味
しさ(=栄養価が高い)に関心の薄い方は、やはりそう長くは続かない。
そんな回答の数々に、私はこう答えます。
「この味は決して人間何度が小手先でできる味(食感も含めて)ではありません。
数え切れない端虫・微生物や放線菌と自然が織り成す自然循環の中で作られて
いくものです」
「自然に畏敬の念を持って、少しは作り手の苦労に思いを寄せて頂ければ幸いで
すし、そして私達は最高の贅沢を味わっていることに感謝しなければなりませんね」
金時生姜
生姜の中でも王様格。
味は勿論ですが、香りが
良く、色合いも美しい。
9月頃から出荷が始まる。
大分県のアンテナショップ
坐来向けの商品が、
今では当農園の晩夏の
風物詩となっている。
これだけの美味しさを生み出す草木堆肥による自然循環農法を広めようと毎年
セミナーを開催し、普及活動を行うも、生産者が増えない、現れない。
ここに日本の農業の難しさや問題点がある。これがこのコラムの本題です。
自然循環農法は自然の摂理に添って野菜を育てる農法であり、有機農法や自然
農法と概念は同じであるが、日本の有機農業は畜糞など高窒素栽培になっており、
自然農法は他から持ち込まないというのであれば、概念先行の無理な作り方になってしまう傾向にある。(野菜作りは畑からのミネラル分収奪となり、他から持ち込ま
無い限りは十分には補給できない)
当農園は、山野の土に近づけようと破砕した木や葉(この中にバランスのよいミネ
ラル分が多く含まれている)除草した草とむかしのように人糞ではなく牛糞とおが屑
を入れ、草木堆肥を作っている。
この作業は多くの有機農法よりはるかに過酷な作業を強いられる。
先ずは剪定枝の破砕作業や除草した草の収集作業を絶えず行っておき、おが屑
の含まれた牛糞(約20%程度、発酵促進のために)と混ぜ合わせ、高く積み上げ
る作業と切り替えし作業を行う。
それを畑を更新するたびに、畑に施肥するわけだが、その際、溜め込んでいた
これらの堆肥作りも大変な上に、ビニールマルチも張らず、
鍬で畝たて作業及び中耕作業や除草作業を常に行わねば
ならない。
雨の降らないときは水遣り作業
・寒い時季はトンネル張り作業
を行う、などなど、すべてに
手作業が多い。
さらに露地栽培はハウスなどの施設栽培とは異なり、とにかく自然の営みによる
リスクが多い。そのために管理が難しく、出荷までに手間が懸かりすぎる。
野菜は不均一であり、所謂スーパーなどで売られている規格商品にはならない。
時には暑さ・寒さ・虫害などで全滅することもしばしば。
この高労働と高リスクに対して、不屈の精神力と忍耐が要求され、農業者からは
敬遠されてしまうことになる。(販売価格も慣行野菜の10~20%高いのみ)
化学肥料と農薬やホルモン資材を使えば、簡単に野菜が出来る。それにハウス
栽培であればさらに楽に野菜が作れる。
加えて、(これが問題なのだが)戦後永い時をかけて、農業保護の名目で、国の
機械化・施設園芸などを推進してきた。
同時に進行してきた大量流通・消費社会により、農協依存に偏り、生産者が直接
及び間接的にも消費者と、あるいは、マーケットと触れ合うこともなくなり、均一な
規格農産物を作ることに専念する習慣が身に付き、農業生産や品質に創意工夫を
重ねることが無くなってしまうことに繋がってしまった。
それと同時に消費マーケットも農産物の価値=評価の物差しが大量流通に扱い
易い見てくれ・規格サイズに偏重し、農産物の本質である美味しさや栄養価といった
評価を無くして行った。
見てくれを評価の物差しにせざるを得ない消費環境になるのは、当然の帰結かも
しれない。
このようにして、自然循環農法は、新規就農者も含めて既存農業者は先ず、選択しないきつい農法となっている。有機農業を行っている多くの生産者も自ら堆肥を
作る作業を回避するようになっており、他から購入する人も多い。
今ではほとんど見ら
れなくなった露地栽培
の冬の風物詩、
ビニールトンネル。
何千本の竹の支柱
が使われているのか
一本一本手作業で
作らねばならない。
トンネルの中でゆっくり
と育つ冬野菜達。
凍死せず、生き残った
野菜のみが出荷される
私も農業を行う前は、野菜は体のためにと言い聞かせて半ば義務的に食べていたように思う。多くの消費者と同様に有機野菜に関心は薄く、どちらかというと、野菜
嫌いな大人でした。
但、むかし子供の頃、食べていた野菜は、小さな畑があり、草木堆肥らしきものと
人糞を腐らせて肥料にしていたと、おぼろげながらの記憶があり、美味しかった
ことは覚えていた。
大多数の消費者の方も何かのきっかけで、このような手間をかけた野菜に接して
頂きたいと願うのみです。そして食の問題に関心を持っていただきたい。
特に老境に入っておられる方は、自らの健康を守り、周囲に迷惑をかけずに
過ごしたい。
日本のこれからを担う子供さんをお持ちのご家庭は、せめて子供には美味しく
栄養価の高い野菜を食べさせ、健康で情緒豊かな成長を願う。
賢明な消費者が少しでも増えていけば、日本の農業も自立が進み、山間地を多く
抱える美しく自然豊かな日本の国土が維持されていくことを期待して止みません。