秋(冬かな)のセミナー開催予告

25.11.15(金曜日)曇り時折晴れ、最高温度17度、最低温度9度
 
秋の恒例のセミナー開催、参加者募集中。
 
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      秋の穏やかな太陽を浴びて、ようやく成長を始めた秋野菜達
      それでも今年の厳しい寒さとなりそうな冬の風音は近づいている。
 
有機野菜とは何?野菜の知識―常識と非常識、栄養価のある野菜の見分け方、
食材偽装などの不安な社会現象の中、賢い消費者になってください!
 
当農園は、来年に向けて法人化を致します。
農業後継者育成とむかし野菜のノウハウ継承及びグループ営農(生産販売)
を目指しております。
当農園の個人顧客は170余名となっており、現在も増え続けております。
残念なのは、九州、特に大分の消費者の関心が薄く、お客様の50%以上が
関東で占めております。
何とか生産者育成と消費者への理解を推し進めて行きたいと願っており、
定期的にセミナーを開催いたしております。
 
 
     12月15日(日曜日)午前9時頃、農園に集合。
     農園の見学―若干の説明
     午前10時頃、車で挟間未来館へ移動。
     大調理教室にて、先発の佐藤自然農園のスタッフに混じり、調理に参加。
     11時半頃から全員で食事。
     有機野菜の現場の状況などについてのセミナー。
     その後、スタッフと混じり、座談会を行い、質門や応答。
 
今回は、ほとんどが消費者の方々であり、少人数で行うため、オープンに食と健康のことなどを話し合えたらと思います。
 
     子供さん(乳幼児も含む)は教室が広いので、遊具・絵本・色鉛筆などを持ち込んで自由に遊ばせてあげてください。
 
農園所在地、大分市野田、大分医科大学を過ぎ、別府大学グランドを経て
      博愛病院の横です。
 
花と博愛病院の両方の看板を入る。そこから約30m、木の小屋が目印
できるだけ楽な服装でおいでください。
 
尚、自然循環農法を学びたい方も歓迎です。
 
佐藤自然農園のホームページ、メール欄へアクセスください
 
連絡先、携帯電話ー080-2725-9092
お気軽にお問い合わせください。
 
                                            敬具、
 
 
 
 
 

「(株)むかし野菜の邑」設立に向けて、

25.10.4(金曜日)晴れ、最高温度26度、最低温度15度
 
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全てはこの一握りの草木堆肥から始まった。
 
子供の頃、食べたスイカや瓜、畑で齧ったトマトや胡瓜の瑞々しい味と歯切れの
良い食感、鼻に抜けるどこか懐かしい甘い香り、それが野菜作りの原点であり、
美味しさの物差しでした。
 
農業を見よう見真似で、始めてから、10年経ち、ようやくたどり着いた草木堆肥に
よる土作り、そこで育った野菜の美味しさに接してからは、迷いは全てなくなり、
植物性の米糠・油粕などの肥料も排し、草木堆肥一本の施肥に徹した。
それから、さらに、10年を経過し、170余名のお客様と数軒のレストラン(=むかし
野菜を共有する仲間達)に支えられていた。
農業生産者の仲間もできた。自然農のお米や梨、自然農のさつまいもや栗、
天原木椎茸、草木堆肥を共有する野菜、生産者達などが新たに加わっていた。
今では彼らと共同出荷を行っている。
 
今まで辛いと思ったことは只の一度も無かった。有機栽培の基本である露地栽培
は自然の営みそのものであり、実に淡々とした年月であったように思える。
人も地球に棲む多くの生き物と同じであり、なるほど、生きるということはこういう
ことかと思える。但し、年々足腰が弱り始めてきた。
この自然循環農法=むかし野菜を後世に伝えることが一つの大きな使命であり、
今では、伝承者の育成が、自然界の子孫を残すという理と同じように、大事な
こととして私の全てとなっている。
 
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農園の初秋の風景
 
夏野菜が次第に
終わりに近づいている。
 
これから、二ヶ月で
畑は晩秋の秋冬
野菜へと衣替えを
していくことになる。
 
 
夕暮れ時は、オレンジ
色の穏やかな秋色に
染まる。
 
 
来年の初めから佐藤自然農園も次の段階へとシフトしていくことに決めた。
元より、これは農園を開いた時から決めていたことではあるが、二段階目の新たな
スタートをきる。
 
日本の農業、山に囲まれた山間地の多い国土、そこで営まれる地域の生活や文化
営々と築いてきた里山・水路・田園風景が壊れ始めていた。
農業、特に日本の集約農業の在り方、有機農産物の商品化、そして、結の制度の
ようなグループ農業、などを通じて、地域が豊かに生まれ変わることはできないのか?などと、思い上がった考えで、始めた農業ではあったが、すべてが人の小さな
欲により、頓挫してしまった。10数回繰り返してきた農業セミナーでその難しさに
思い知らされる。銀行員時代にそれは充分思い知らされたはずなのに・・・
 
今は、小さくとも理念を同じくする仲間達を結集すること、若いむかし野菜の伝承者
を多く産み出すことに考えを変えていった。
それは必然的に会社組織を作ることから始まる。
会社名はすでに「(株)むかし野菜の邑」と決めていた。
 
そこでは、「自然体の農産物」・「素朴さ」・「伝承の復活と再生」・「おしゃれさ」を
テーマとして、農産物及びその加工品の「質」を大切にし、「文」=分りやすく伝承
していくコミュニケーション能力を育成することに最も重きを置くことにしている。
食は本来、栄養価に溢れ、人の体を健全に再生してくれるもので無ければならず、
決して、アトピー・アレルギー・癌などの機能障害を引き起こしてはならない。
体だけではなく、心も癒してくれる、そんな農産物及び加工品を提供し続けていきたいと考える。
 
来る人は拒まず、去る人は追わず、を基本として、知りえた全ての知識や経験を
伝えることにしている。出来る限りその会社に残るか、あるいは、仲間になって
欲しいと願う。
私に残された時間は少ない。その間に多くの人達が結集し、知識や経験や技を
学び、後は、彼らがそのグループ及び会社を育てていって欲しいと祈る。
 
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露地栽培のパプリカ
 
その難しさとリスク
大きさは計り知
れない。
 
それでも土の力に
よって年々、うまく
育ってくれだした。
 
露地栽培のトマトや
パプリカの希少価値
を如何に消費者に
伝えることができるか
 
 
「(株)むかし野菜の邑」の事業内容及び目的
 
○農産物生産
 (自然循環農法に限る)
 
○農産物加工
 (自らが生産した農産物の素材を活かした加工事業とする)
 (漬物・味噌・干し野菜・黍粟などの製粉など)
 (保存料・添加物・化学調味料などは加えず、海草などのグルタミンの力は用いず
  野菜の持つ旨みを活かし、日本伝承の技法を復活再現する)
 
○農産物販売
 (共同出荷事業を行い、アンテナショップ立上げを当面の目標とする)
 
○飲食店
 (極力、グループに参加する農産物をメインにし、素材を活かした飲食を提供する)
 
○自然循環農業を心だしを持つ農業生産者の育成事業
 (将来的には農業学校を目指す)
 
これらの事業は私一代では達成できるものではなく、次の世代に委ねる物も多い。
それでもこの一石を投じなければ農業を始めた思いは達せられないし、次世代
への伝承ができず、多くの方々(仲間と言っているが)の期待にも答えられなくなる。
 
日本の農業は?地域は?どうなるの答えは次世代の承継者達に委ねる。
 
                                            終講、

日本の農業の行く末は?-PARTⅡ

25.9.1(日曜日)雨、最高温度26度、最低温度23度
 
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(日本の農業の現状)
 
今から100年以上前まで、日本では、開けた平野部や一部の都会地は別にして、
山があり、農地と人家があり、その間にある里山では、里人は入会地として、柴を
刈り、草を刈り、秋ともなると落ち葉を集め、農耕用の牛の糞や鶏の糞を使って、
草木堆肥を作っていた。人糞は肥え坪に溜めて肥料として野菜を作っていた。
有史以来、山から流れ出る河川や水路を整備し続け、水田に腐葉な有機質に
溢れた養分やミネラルを含む水を引き、我々の先祖は営々と農耕を続けてきたと
いう歴史がある。
その遠大な水路や整備されてきた里山は日本の大切な財産でもあった。
 
戦後目覚しい復興を果たし、経済成長を遂げた日本では、これらの地域から人が
流出し、過疎化が進んでいったことは止むを得ないことではあるが、欧米に追い
つき、追い越し、やがて、それと同じようにアジアの後進国の追い上げをうけて、
それまで日本の経済を支えてきた産業がその存在領域を奪われつつあるのは、
ある意味では当然の結果でしょう。
そうなると、都会や平野部で働いていた産業人口が溢れ出し、逆に過疎化が進ん
だ山間部を含めた地域には人が居ない、産業が無いということになる。
画して、平野部でも山間地でも産業・職業・住宅の空洞化が進行している。
 
問題なのは、日本にこれらの人口移動や産業育成の具体的政策がまったくといっ
て無いことであり、猶予できなくなっているのは、地域の荒廃を、先祖が作り上げ
た膨大な林業という営みを支えてくれた水路などの地域インフラの維持存続が
難しくなっていることです。
 
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戦後の日本の農業(農業政策とも言える)は一貫して近代化をテーマとしてきた。
そのため、大量・均一農産物生産をテーゼとした化学肥料・農薬の使用があるいはその使い方が生産技術となっていった。
その後、60数年を経て、草木堆肥、若しくはそれに近い堆肥作りは急速に廃れ、
その作り方・使い方さえ知らない世代へ農業は受け継がれている。
戦後の都市化の波と大量消費社会となり、の農産物流通は均一・大量生産へと向
かい、同時に生産者と消費者との接点も無くなり、品質は見え形・規格サイズという
物差し(価値基準)へと変わってしまった。(流通主導での産物形成のため)
 
農業者も露地栽培からハウスなどの施設園芸へと向かい、農協などの主導により
生産部会を作り、大量流通のしくみに対応するようになった。
国も未だに農業の大規模化・企業化しか言わなくなり、山間地の多い地域農業は
崩壊の一路を辿っている。(旧態の農地法などにより、土地の集約化など無理な
状況は放置され続けている)
 
そうした中、わずかに有機農業及び自然農法といった欧米のオーガニック農法が細々ながら浮上してきてはいるが、それも纏まりが無く各個に起こり、かつ、潰れ
ている。
その纏まりの無さ故に、大量流通の仕組みにより作られてきた消費者の品質に
対する価値基準=きれい・みてくれ・規格サイズと同じ物差しで有機農家も農産物
生産を行う風潮になっているのも仕方がないことなのか?
 
あるレストラン(当農園が野菜の供給をしている)から電話が入る。
「佐藤さん、この人たちは分っていないんだよな!うちに突然、○○有機農家から
野菜が送られてきたんだよ。きれいだし、味も香りも無い野菜が・・使えんよ」と・・
 
有機野菜の本質は、安全安心ではなく、また、マーケットの価値観に迎合すること
でもなく、有機質に富み、端虫や微生物・放線菌などの棲息できる土壌を作り上げ
て、栄養価のすぐれた野菜を消費者に提供することではないのでしょうか。
だから、安易に土を汚す、あるいは、微生物などを放逐してしまう農薬などの化学
物質をできるだけ持ち込まないとするのが、有機農家の矜持と私は思う。
 
欧米のオーガニック野菜の基準とは異なり、日本の風土に根ざした有機野菜の
基準があれば一般の消費者にも分り易く流通が容易になると思うのだが・・・
(日本は海に囲まれた温暖な四季のある風土であり、季節によっては湿潤で、
虫が大量に発生し易い。特に最近では亜熱帯特有の雨季と乾季を繰り返す)
 
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写真は、当農園の定番商品
サラダセットの野菜達。
水菜・サラダ小松菜・ルッコラ
辛し水菜・マスタード他、7~10
種類のサラダ野菜を詰め込んだ
セット野菜。
マーケットとの直接取引には消費者
がどんなサラダ野菜を欲しているの
などを生産者が考えて、自分達も
食べて美味しいと喜べる野菜作りや
供給の仕方を工夫することが要求
される。
 
大量流通の仕組みが可笑しいわけではないが、日本の農業の復興のためには
様々な問題が多く、国などに頼るだけでは難しい。
その一つが、消費者に向けて努力しなくなった農人達。これでは流通の仕組みに
飲み込まれるのは当然。消費者が求めている農産物作りを探る努力が必要となる
これをマーケティング能力と言う。
そのためには、消費者と向き合う場や方法が必要となる。これをコミュニケーション
能力と言う。
 
少なくともこの二つの仕組みを作り上げるには、個々で覇を争うことには余り意味
が無く、一つの品質を均質化していくためには早急なグループ形成が必要となる。
そこでは、質の高い農産物を生産する技術や農業を学べる新たな農人を養成
することが早急なテーマとなっている。
この農園もその意気込みのある若者を求めている。何とかからだの動くうちにと
やや焦り始めているようだ。
 
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   野菜の花は蜜蜂などの子虫を呼ぶために、時として妖艶な姿態を作り出す
   オクラの花は、日中は開き、夕方になると閉じる。まるで虫を誘うように、
 
消費者もこのような実態を知ってか知らずか、特に若い女性達が敏感になりつつ
ある。丁度、子育て世代にあたる。
関東の方々は、情報に敏く、流通している有機野菜にやや疑問を持ち始め、本物
を探し始めている。ここ、九州ではようやく有機野菜なるものに関心を持ち始めた
段階ではあるが、ようやく動き始めた感がある。
これは同行者にとってはうれしい変化であり、これから農業に取り組もうとする
若者達にとって、将来の展望が見えてくるのかもしれない。
 

日本の農業の行く末は?PARTー1

25.8.17(土曜日)晴れ、最高温度37度、最低温度26度
 
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わずか30坪の農地を借り、有機農業の真似事を始めたのが今から20年前、
思うところあり、銀行を中途退職し、本格的に草木堆肥による自然循環農法に
よる有機野菜の生産販売を開始したのが今から10年前になる。
最初は、私と妻の知人縁故を頼って市場には馴染みの薄い草木堆肥による野菜
有機野菜とは一線を画してむかし野菜と称する)を20~30人の方々に買って
もらった。
 
それから徐々に畑を広げて、今では160余名の個人顧客(関東が中心)と数軒
のレストランに直接お届けしている。
大震災以降は、顧客層もぐっと若返り、子育て世代の30代の世代が中心となって
いる。顧客の増加に伴い畑も7反に広がるが、こちらは当然のことながら年々年を
重ねてくる。この農法を受け継ぐべき次の世代(後継者)が気になってくる。
 
なにしろ、流通を一切介さない直接販売のみですから、レストランの要望に答えて、あるいは、毎週お届けする野菜ですから、飽きの来ないように野菜のアイテム数も年々増え、年間100種類以上の野菜の生産となった。(毎年数種類の新たな野菜
作りを試して、生き残るのは2~3種類となるが)
 
作る野菜は、固定種・在来種の血を引く野菜としており、露地栽培に適したものだけ
が生産継続となっていく。勿論美味しくない(味香りが薄い)野菜は排除される。
見え形にこだわっておられる消費者やレストランは消えていき、味香り・食感・旨さ
を求めておられるお客様だけが残っていくため、爆発的には増えない。
まさしく特定消費者に支えられた農園となっている。
そこはお客様(私はむかし野菜を共有する仲間と理解)も分っておられるようで、
特に関東のお客様方は多くの有機野菜(若しくは、らしきものも含めて)を試されて
おり、見え形が悪い、割れている、虫食いが多いなどのクレームはほとんど見られ
ない。というのも、直接それらの新規顧客に問い合わせた処、皆様からは有機
野菜(中には有機JAS認定野菜も含まれる)なのに、何故きれいなの?とか
何故美味しくないの?などの疑問を抱いていたから、佐藤自然農園の野菜を
試してみたかったのです、との回答が寄せられる。
有機野菜、あるいは、自然野菜という概念だけではそう長く続くわけも無い。
 
驚かされるのは、野菜を取る前に期待していたイメージと食べてからの印象
のギャップが見られないこと。皆様、「期待通りでした」と答えられる。
それだけ、美味しく栄養価の高い野菜を求めている消費者が多いことに、まんざら
日本人も捨てたものではないな!と・・・
 
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トレビス
(チコリの仲間)
 
サラダの貴婦人と
私は言っている。
 
ややビターな味と
妖しげな色合いが
サラダ野菜を引き
立ててくれる
 
レストランメニューが
今や当農園の定番
食材になっている。
 
 
 
新しいお客様達との会話(メールか電話)の中で、「とにかく美味しいです。野菜に
対する概念が一変しました」とか、「最初は思わず引きました。食べてみると味が
濃く、歯ざわりが凄く良い。何しろ野菜を食べない子供達が平然と食べているのに
唖然としました」という回答が寄せられる。
一番驚いたのは、「味が濃いということも勿論ですが、やさしい味がしましたよ」との
回答が少なからず寄せられたことです。生産者の私でもこの野菜を作り始めてから
何年か経ってから、むかし野菜は結局は体が美味しいと言っており、やさしい味が
する、と言うことかと気づいたのに・・数人の方は最初に食べた際にそれを言い当
てるとは・・
料理人も足元に及ばないほど味に敏感な消費者がおられるのです。
最も、有機野菜というイメージ(概念)だけで野菜を取っておられる方や野菜の美味
しさ(=栄養価が高い)に関心の薄い方は、やはりそう長くは続かない。
 
そんな回答の数々に、私はこう答えます。
「この味は決して人間何度が小手先でできる味(食感も含めて)ではありません。
数え切れない端虫・微生物や放線菌と自然が織り成す自然循環の中で作られ
いくものです」
「自然に畏敬の念を持って、少しは作り手の苦労に思いを寄せて頂ければ幸いで
すし、そして私達は最高の贅沢を味わっていることに感謝しなければなりませんね」
 
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金時生姜
 
生姜の中でも王様格。
 
味は勿論ですが、香りが
良く、色合いも美しい。
 
9月頃から出荷が始まる。
 
大分県のアンテナショップ
坐来向けの商品が、
今では当農園の晩夏の
風物詩となっている。
 
 
 
これだけの美味しさを生み出す草木堆肥による自然循環農法を広めようと毎年
セミナーを開催し、普及活動を行うも、生産者が増えない、現れない。
ここに日本の農業の難しさや問題点がある。これがこのコラムの本題です。
 
自然循環農法は自然の摂理に添って野菜を育てる農法であり、有機農法や自然
農法と概念は同じであるが、日本の有機農業は畜糞など高窒素栽培になっており、
自然農法は他から持ち込まないというのであれば、概念先行の無理な作り方になってしまう傾向にある。(野菜作りは畑からのミネラル分収奪となり、他から持ち込ま
無い限りは十分には補給できない)
 
当農園は、山野の土に近づけようと破砕した木や葉(この中にバランスのよいミネ
ラル分が多く含まれている)除草した草とむかしのように人糞ではなく牛糞とおが屑
を入れ、草木堆肥を作っている。
この作業は多くの有機農法よりはるかに過酷な作業を強いられる。
先ずは剪定枝の破砕作業や除草した草の収集作業を絶えず行っておき、おが屑
の含まれた牛糞(約20%程度、発酵促進のために)と混ぜ合わせ、高く積み上げ
る作業と切り替えし作業を行う。
それを畑を更新するたびに、畑に施肥するわけだが、その際、溜め込んでいた
草木灰も合わせて降る(焼畑農法と類似の効果)
 
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これらの堆肥作りも大変な上に、ビニールマルチも張らず、
鍬で畝たて作業及び中耕作業や除草作業を常に行わねば
ならない。
 
雨の降らないときは水遣り作業
・寒い時季はトンネル張り作業
を行う、などなど、すべてに
手作業が多い。
 
 
 
 
さらに露地栽培はハウスなどの施設栽培とは異なり、とにかく自然の営みによる
リスクが多い。そのために管理が難しく、出荷までに手間が懸かりすぎる。
野菜は不均一であり、所謂スーパーなどで売られている規格商品にはならない。
時には暑さ・寒さ・虫害などで全滅することもしばしば。
 
この高労働と高リスクに対して、不屈の精神力と忍耐が要求され、農業者からは
敬遠されてしまうことになる。(販売価格も慣行野菜の10~20%高いのみ)
化学肥料と農薬やホルモン資材を使えば、簡単に野菜が出来る。それにハウス
栽培であればさらに楽に野菜が作れる。
加えて、(これが問題なのだが)戦後永い時をかけて、農業保護の名目で、国の
補助金政策が続き、さらに農業近代化を目指して(アメリカ追従OR模倣)大量生産
機械化・施設園芸などを推進してきた。
同時に進行してきた大量流通・消費社会により、農協依存に偏り、生産者が直接
及び間接的にも消費者と、あるいは、マーケットと触れ合うこともなくなり、均一な
規格農産物を作ることに専念する習慣が身に付き、農業生産や品質に創意工夫を
重ねることが無くなってしまうことに繋がってしまった。
 
それと同時に消費マーケットも農産物の価値=評価の物差しが大量流通に扱い
易い見てくれ・規格サイズに偏重し、農産物の本質である美味しさや栄養価といった
評価を無くして行った。
有機野菜と言ってもその例外ではなく、有機専門の流通会社もマーケットの求める
見てくれを評価の物差しにせざるを得ない消費環境になるのは、当然の帰結かも
しれない。
 
このようにして、自然循環農法は、新規就農者も含めて既存農業者は先ず、選択しないきつい農法となっている。有機農業を行っている多くの生産者も自ら堆肥を
作る作業を回避するようになっており、他から購入する人も多い。
 
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 今ではほとんど見ら
れなくなった露地栽培
の冬の風物詩、
ビニールトンネル。
何千本の竹の支柱
が使われているのか
一本一本手作業で
作らねばならない。
 
トンネルの中でゆっくり
と育つ冬野菜達。
凍死せず、生き残った
野菜のみが出荷される
 
 
私も農業を行う前は、野菜は体のためにと言い聞かせて半ば義務的に食べていたように思う。多くの消費者と同様に有機野菜に関心は薄く、どちらかというと、野菜
嫌いな大人でした。
但、むかし子供の頃、食べていた野菜は、小さな畑があり、草木堆肥らしきものと
人糞を腐らせて肥料にしていたと、おぼろげながらの記憶があり、美味しかった
ことは覚えていた。
 
大多数の消費者の方も何かのきっかけで、このような手間をかけた野菜に接して
頂きたいと願うのみです。そして食の問題に関心を持っていただきたい。
特に老境に入っておられる方は、自らの健康を守り、周囲に迷惑をかけずに
過ごしたい。
日本のこれからを担う子供さんをお持ちのご家庭は、せめて子供には美味しく
栄養価の高い野菜を食べさせ、健康で情緒豊かな成長を願う。
賢明な消費者が少しでも増えていけば、日本の農業も自立が進み、山間地を多く
抱える美しく自然豊かな日本の国土が維持されていくことを期待して止みません。
 
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美味しい野菜作りとは?-PARTⅢ(有機無農薬の神話)

25.7.21(日曜日)晴れ、最高温度36度、最低温度26度
 
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(無農薬で野菜が作れる?)
 
日本の有機JAS規程には「有機野菜とは、化学合成している肥料及び農薬を使用
していないもの」ということになっている。
その逆で化学合成していない肥料や農薬は使って良いことになっている。最近の国
の考え方では、化学肥料も一度発酵させたら有機肥料ということになるらしい。
 
他方、一般の消費者は、無農薬の意味と自然界の摂理(掟)を理解していないため
(当然なのですが)有機野菜と言えば、無農薬という概念のみ理解して、やたら,
「無農薬」野菜ということを口にされている。
 
少しでも野菜を作られたことがある方は、すだれ模様になっていく野菜を見ており、
虫が集中的にたかり、あっと言う間に溶けていく野菜を目の当たりにしており、
有機無農薬という「概念」に疑念を抱いておられる方も多いようです。
私のセミナーにはその様な方が多く参加されている。
 
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農薬を使用することは是か非かを論じる前に自然界の姿をよく観察して頂きたい
この世の中に虫が居ませんか?虫も天地創造の神(自然)が作られたものです。
その虫は何処で育ち、何処で越冬してさなぎになり、何処で孵化して成虫になっ
いるのでしょう。
有機野菜を生産している農地にも、化学肥料を多投している農地にも、自然界の
林や野山にも、そのような営みが公平に常に行われております。
我が農園にも沢山の虫が生息し、土を掘り起こすと、様々な幼虫が、あるいは、
さなぎが出てきます。当然に草木堆肥という昆虫にとって美味しい餌になるもの
が多く投入された土壌には虫は付物です。(自然界の山野と同じ環境を作る)
 
この自然界の姿を壊すことは、自然循環という自然の浄化システムを壊すことに
繋がり、やがては、そこから食べ物を頂いている人間にとっても自然浄化バランス
が損なわれた土壌で育った食べ物を永年摂っているとやがて遺伝子が損なわ
るなどの様々な機能障害を子々孫々に残していくことになる。
アトピーとは分らない原因不明の症状のことで、最近増加してきた食物アレルギ
などもその要因は分らないままです。
人間だけが特別の存在であることは絶対にありえませんし、そう思っているのなら
それは人間の驕りです。何故なら、人間も自然界の中では、生かされているに過
ぎない存在だからです。このような農業を永年行っていると、そのことを痛切に
感じざるを得ません。
 
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(自然循環システム)
 
もし土壌の中に虫を頂点とした微生物や放線菌などが棲息していなかったなら、
この地球は倒れた木はいつまでも分解されず木のままでしょうし、動物やその糞
などもいつまでもそのままでしょう。怖いことになってしまいますね。
これを自然が持つ浄化機能、即ち、自然循環システムです。
固い物質リグニンやセルロースなどは放線菌が、その他のたんぱく質や炭水化物
などは微生物が、分解してくれます。虫も葉っぱや枝等を食糧として育ちます。
皆さんが毛嫌いされる虫やカビ・微生物などがお互いに食い合い、あるいは、助け
合い、自然のバランスを保っているのですね。
 
一握りの草木堆肥の中には数兆にものぼる端虫・微生物や放線菌が棲息しており
ます。これらが有機物とともに、土壌に施されたら、土の中で、分裂し、土を耕して
くれます。彼らの餌や栄養源は有機物であり、ミネラル分です。
これらが土中にないとしたら、あるいは、施されないとしたら、それは潤いのない
不毛の大地ということになってしまいます。
ちなみに、人間もこのミネラル分が欠乏すると、あるいは、バランスを欠くと大きな
疾患が生まれてきます。
 
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さて、本題に入っていきましょう。
 
オーガニックという概念は、欧州の緯度からいって、北海道の上くらいに位置して
いるドイツやオーストリアが発生の地です。
そこでは、虫も大きな繁殖力は持ちませんし、虫害もそんなに多くはないのです。
日本は、長野県や北海道などのわずかな地点を除いて、四季があり、温暖な地
です。特に関西以西は最近では湿潤で気温も高くなってきております。
虫にとっては将に絶好の生息地となっております。
特に最近の5年ほどは、異常気象の連続で、九州などは亜熱帯ではないかと思
えるほどの雨季と乾季を繰り返しております。
 
そこでは虫、特に害虫が異常発生をしており、トレーに蒔いた白菜の種は、発芽
すると数日を待たず、溶けたように芽が消えて無くなっていることもしばしばです。
夜登虫も異常繁殖し、キャベツにくる青虫も同じです。
このような場合、苗の初期段階や成長期を迎えたばかりの頃、いくらかでもこれら
の害虫を駆除しておかないと、(正確には減らしておかないと)それこそ、大人に育
つ前に、野菜は全て溶けて無くなっていることになりかねません。
忌避剤(木酢・とうがらし・にんにくなど)では予防は若干出来ても、虫に覆われた
場合はまったくといって無力です。
画して、「数年前でしたか、佐藤さんとこには、白菜は無いのですか?とか、キャベ
ツは植えておられないのですか?などと質問が多数寄せられたことがあります。
種を蒔いても数回全滅し、ようやく苗が育ったと思ったら、すでに秋たけなわの頃、
今度は成長期に寒くて、ついに白菜が育ちませんでした。
 
そんなことなどが重なり、数年前から瞬間的に効力のある神経性の農薬を使用
するようになりました。これは育苗段階や成長期にのみ1~2回使用しております。
勿論、葉面散布です。5月末頃から11月中旬頃まで、猛烈な害虫被害が発生し
ます。この大量の害虫発生現象はほぼ5年ほど前から顕著になり、地球温暖化
進んでいるせいでしょう。もはや忌避剤程度ではまったくといって効果がありません
ある時、キャベツの畑をつぶし(耕運)ますと、30分も立たないうちに、多くの幼虫
がぞろぞろと隣の畝に這って、移動しておりました。それこそ、音を立てて・・・
 
※農薬の光合成分解
農薬と言っても、瞬間的に効くものから、持続的に効くものから様々であり、また、
葉面散布から葉枯らし剤や土中消毒まであります。
その特徴は光合成分解し易いものと、し難いものに大別されます。
○瞬間的効果=光合成分解し易く、一日若しくは半日程度しか効果が無く、葉面
  散布仕様のもの。
●持続的効果=光合成分解をし難く、一週間程度の効果がある。葉面散布から
 土中消毒のものまである。
 
所謂残留農薬はこの後者のものであり、野菜の植え付け(種蒔き)から出荷まで
実に20~30回行われている。週に二回以上というものまであるようです。
その中で一番危険なものは、土中消毒と称する葉枯らし剤まで含めた残留性の
強いものです。
土中の幼虫・さなぎから微生物まで殺してしまいます。このようにして大地は不毛の
砂漠と化していきます。困ったことに、多くの農家がこの土中消毒と称する薬を農薬と認識されていないことです。(少なからずの有機農家も含めて)
 
当農園では、というより、草木堆肥を使った自然循環農法では、土を汚染する
土中消毒などはもってのほかであり、虫が大量発生する一時期のみ、1~2回
程度の葉面散布で即効性のある神経性の農薬(光合成分解し易い)を使用して、
瞬間的に虫を殺し、野菜が成長して害虫にも耐えられるようになった後は自然の
営みに任せるか、目に付いた害虫を捕殺するようにしている。
土を汚染する行為は自然界のバランスを壊します。
セミナーでのこの話は、わずかでも農業をかじった方々には、「ホッ!」とする情報
のようです。農薬は例え絶対悪であっても、必要最低限の使用は、この温暖化が
進む日本では、今や、「必要悪」になっている。
セミナー参加者は一様に納得したような、安心したような雰囲気が会場に流れる。
 
有機農業で認められているホルモン資材と称するものは、例えば、交尾しても
子供は出来ないなどの生殖障害を起し、虫を撃退する物質です。
皆様は遺伝子組み換えがどうかと、議論されておりますが、それに勝るかもしれな
い自然破壊に繋がりますね。
 
 
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様々な方が当農園を訪れるが、他の有機野菜生産農家で勉強したある若い人が
有機野菜や自然野菜を生産している畑では、虫が居なくなるんだそうですね」と・・
またあるイメージ有機客(概念論者らしい消費者)は、「農薬など使うなんて」と・・・
批判して帰って行かれる。
他方では、多くの有機野菜通販会社から取り寄せた有機JASに乗っ取った野菜に
まったく虫食いの跡が無く、所謂「見てくれきれいな野菜」に味も香りも無く、美味し
さも感じない有機野菜がマーケットに溢れています。
 
国が定めた有機JAS規程の有機無農薬という概念に操られ、振り回されている
有機農産物市場があるのも事実です。
 
私が申し上げたいことは、(概念の有機野菜とは区別して、当農園ではむかし野菜
と言う言葉を使っていますが)実際の自然循環農業を行っている農業現場の現実
の声を聞き、生産者に限らず、消費者が自分の考え方や価値観を持ち、自然の
営みとこの現実をどのように判断されるのか、考える場を提供し、農業の今後と
食の大切さと子供達の未来を考えて頂きたいと、切に願って止みません。
 
以上が農業セミナーの内容でした。
                   

美味しい野菜作りとは?-PARTⅡ

25.7.7(日曜日)晴れ時折曇り、最高温度34度、最低温度24度
 
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(野菜の価値評価は?)
 
随分と前になりますが、確か、NHKでの番組で、新潟のコシヒカリの等級について
の番組がありました。
20粒程度のお米を調べて、ある一定の水分含有量及びお米の色を評価の基準
にしておりました。様々に評価のポイントが述べられておりましたが、最後に、
端米の粒数がいくら以下であれば、一等級になる・・・で終わってしまいました。
 
皆様はこれで納得致しますか?私は何これ!と思ってしまいました。
水分の含有量までは理解できますが、お米の色や端米の量で等級が決まるとは、
思っても見なかったことでしたから。
私が期待したのは、糖度やビタミン及びミネラルの含有量、そして食べ比べてみて
美味しさや栄養価が評価の一端を担っていると、思ったから最後までテレビを見て
いたのですが、すっかり肩透かしをくらった感じでした。
 
これらの等級の判断基準はスーパーなどの店頭に並んでいる「みてくれ評価」の
野菜と同じなのです。本当にこれで良いのかと思うのは私だけでしょうか?
 
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好きなように根を伸ばして育った
ごぼうです。
 
もしこのごぼうが店頭に並んだら、
まっすぐに育ったごぼうと比べて
貴方は手に取ってくれるでしょうか
 
ごぼうは砂地でむらなく窒素分が
土に存在する化学肥料であれば、
栄養分を探し回って根が分岐せず
まっすぐなごぼうが育ちます。
 
ごぼうを見ると思い出すのがある大手の有名レストランのシェフとのやり取りです。
こんな風でした。
 
ある時、ジョルジュマルソー(福岡の有名フレンチ)やチューリップスープや東京の
坐来(大分のアンテナショップ和食レストラン)や多くの個人顧客が欲しがるごぼう
を取引間もない有名レストランにも送りました。
荷が届いた直後にそのシェフから連絡が入りました。
「佐藤さん、このごぼうはいつ掘ったのですか?表面にひび割れがあり、形は悪い
一週間前に掘ったようなごぼうを送ってもらっては困ります」と・・・
「味はどうだったのですか?」と聞くと、「味は良いのですが」と回答、それでは何が
悪いのですか?」と聞くと、「こんなごぼうはお客様に出せません」と・・・
 
即、取引は解消致しました。こちらからですが・・
 
あきれて説明するのも面倒になってしまいました。「貴方は一から野菜について
勉強し直したほうがよろしいのでは?」とだけ答えました。
 
ごぼうは時間が経過してくると、中が空洞になったり、表面にひび割れが出来ます。
これこそ完熟の現れです。まっすぐあるいは表面がきれいなうちはまだ成長過程
ごぼうであり、食感は柔らかいのですが、走り旬に過ぎないのです。
そのようになったごぼうは味が深く、空洞の部位に詰め物などをし、調理すると
口の中で蕩けるそれは美味しい料理になります。(草木堆肥の場合ですが)
 
野菜が、スーパーという大量消費(マス流通経路)に乗ることによって、従来農家
と消費者との間に立って説明してくれていた八百屋さん(語り部)が居なくなり、
生産者と消費者の接点がなくなってしまったため、野菜の昔ながらの常識が
今や非常識になってしまいました。寂しいことですね。
そのためか、本当のことは消費者に伝えられず、変な野菜(これこそが真の野菜)
は全て傷物や端野菜として売り場から消えてしまいました。
そのことを貴方はどう思われますか?
 
これからの時代、農人はマーケティングのこと、消費者とのコミュニケーションのこと
野菜の品質のこと、野菜の味を伝えること、料理の方法を考えること、何より、
野菜作りのプロとしての自覚を持ち、堂々と消費者に説明できるだけの品質作りや
販促のことも勉強しなければいけないようになってきた。
 
他方、消費者は自らの健康のこと、子供の健康のこと、口に入れる食品のこと、
何より何が美味しく、栄養価が高く、安全なのかを判断できる賢さを身につけねば
健康に生きていくことも難しい時代になっていくような、そんな気がします。
 
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美味しい野菜作りとは?

25.7.5(金曜日)曇り、最高温度35度、最低温度25度
 
 
「美味しい野菜作り」ー農業セミナーの中から抜粋
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(美味しい野菜とは?)
 
美味しさの物差しとは一体なんだろう?
 
この野菜、美味しいね!とか、甘い!とか、聞きますと、この人達は一体なんで
野菜の美味しさを決めているんだろう、と思ってしまいます。
私にとって野菜の美味しさの基準は、むかし子供の頃に食べた畑で捥いで食べた
トマトや胡瓜の味、つんと鼻に来る香りとさっと口に広がる旨みやシャキシャキとし
た食感でした。
 
但、それ以降は、体のために食べなくてはという思いで野菜を単に義務的に食べ
ていたように思います。子供の頃から、野菜は無理やり親から食べさせられていた
ことを思い出してしまいます。
いまの子供さん達が野菜だけ残すというのは、おそらくこのような感じなんでしょう。
時にはそんな感覚を大人になっても残しているご主人さんもいるようですが・・・
 
この草木堆肥農業(むかし野菜=自然循環農法)に行き着くまで様々な農法、
と言うより、土作りを試してきました。その時、私を導いてくれた美味しさの基準は
こどもの頃に味わったあの感覚でした。
そんな中で、様々な古書や学会の先生達の本を読み、試行錯誤をしながら、一つ
の野菜の美味しさの基準を作りました。
 
「味と香り」
味香りのある野菜とは、その野菜本来の味覚や香りを引き出してやること。
野菜に糖質やビタミンが豊富に含まれていること。
 
化学肥料や畜糞には窒素が大量に含まれており、野菜の内部に成長過程で増殖
するミトコンドリア(成長酵素)と相関関係にあり、窒素が多い土壌で育てば、
ミトコンドリアは増殖し続ける。その土壌では、野菜は急成長し、野菜の内部に
炭水化物やデンプン(苦い)が増え続ける。そして、大きくなれば、即、出荷となる。
 
逆に緩効性肥料(草木堆肥など)を施肥した土壌では、植えてから2カ月半経過
すると土壌の窒素分は減少してミトコンドリアの増殖が止まる。
そこから完熟期に入り、今度は野菜の内部に分解酵素が現れ、蓄えたデンプン
などを糖質やビタミンに分解していく。(完熟野菜)
例えば、さつまいもや南瓜などを常温保管して置くと、同じ現象が起こり、甘くなる。
これを追熟と言います。
 
※味香りはどうやら土がミネラル分に富み、しかも低窒素であることがその条件の
 ようで、実体験により得た結論ですが、野山の自然の中で育った山菜が目標
 となりました。
 
「旨み」
単に甘いだけの野菜であれば、例えば、「塩トマト」は塩分を含ませた水耕栽培
塩分ストレスをかけて、水や肥料を野菜が吸収できにくい環境を人工的に作り
上げる方法で、トマトは甘くはなります。
しかしながら、旨みは甘みとは異なり、舌の奥の方で感じるもので、この味覚は
えぐみ(灰汁など)や苦味を感じるところです。
例えば、塩化ナトリウム(精製塩)は単に塩辛さや苦味を感じると思いますが、
岩塩や海塩などは、わずかに旨みを感じると思います。これは不純物=この場合
はミネラル分を大量に含んでいるからです。
 
※常に土壌を高ミネラル(ミネラル分のバランスは必要)の環境に維持していくと、
 野菜の本来の灰汁成分などは、えぐみから旨みに変化していくことが分って来た
 草木堆肥歴が3年を経過してから劇的に野菜にこの旨みが現れてくる。
 
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「食感」
子供さん達が野菜嫌いになっていく一つの要因に「噛んでも噛んでも口の中に
残る野菜の繊維」があります。
家の次女はひどいアトピー症状でした。その要因の一つに野菜嫌いがありました。
幼児の頃、この娘は給食で出された野菜を飲み込めず、最後まで残されていまし
た。口の中にはいつまでも消えて無くならない野菜が一杯詰まっていたそうです。
その娘も 今では一児の母、今は農園の手伝いをしており、この野菜のおかげで
アトピーの跡もきれいに完治しております。
 
高窒素の土壌で育った野菜は急成長しますので、倒れないために茎や葉脈に
強い繊維質を持って成長していきます。
そのため、噛んでも歯切れが悪く、いつもでも繊維質が口の中に残ります。
実は私も繊維質の代表のような小松菜が嫌いでしたが、草木堆肥で育てた小松菜
を食べてみると、口の中でいつの間にか溶けていきます。
しかも味香りがあり、ほんのりと旨みを感じ、それ以来小松菜が大好きになりました
 
※低窒素で育てた野菜は化学肥料で育てた野菜(例えば小松菜)と比べて成長
のスピードは1.5倍以上を要します。土中に窒素を求めてじっくりとひげ根を張り
茎を太く持ち、葉脈も厚く育ちます。土中のミネラル分などをじっくりと吸収して
しっかりとした土台を築いてから、成長していくのですね。筋張らず、太い茎と葉を
つけているため、歯切れが良いのです。
このため、収穫途中ではぽっきりと折れてしまうことも多々あります。
 
以上が私が考えている野菜の美味しさの物差しです。
私も一時期、美味しさを甘さと捉え、米糠や油粕を使った所謂「ぼかし肥料」を
多用した時期もありました。確かに甘くはなりましたが、私が目指すべき旨い
野菜ではなく、味香りも薄く、食感も良くない。
悩んだ末に行き着いた土作りが草木堆肥一本に絞った農法でした。
いつしかぼかし肥料も止め、堆肥一本に絞り込んだ農法を、先人達の叡智が
作り上げた「むかし野菜」と表現するようになりました。
但し、むかしの農人は人糞をこなして、追肥として施肥していたことを思うと、
先人の知恵を借りた自然の野山に近づける有機自然農法とでも言えばよいので
しょうか。
 
結論を申し上げれば、美味しい野菜とは、単に新鮮だとか、甘いとかではなく、
まして、有機無農薬という観念=概念でもなく、自然の野山などと同じく、
自然循環の浄化サイクルを保った土で育った糖質やミネラルに富み、栄養価の
高い野菜のことを言うのではないでしょうか。
従って、農人は、そのような環境を作り上げることに腐心して、土消毒はしない、
窒素過多にはしない、できるだけ、自然循環のサイクルは壊さない、ということに
心がけていけば、美味しく栄養価に富んだ野菜作りができるようになります。
最後に、自然を支配することは決してできません。いかに自然と向き合い、折り
合っていくかが大事なのだということを痛感させられています。
露地栽培はハウスなどの管理栽培とは異なり、自然の変化や、脅威、そして恵み
を受け、大いなるリスクを受け、その代わりに美味しく栄養価の高い野菜を手に
することができます。